おばあちゃんから私のまで、着物 (2)

プロローグ

 

ここで、ええ先生、ええ友達におおた。

いい合いしたり、絶交したり、全エネルギー投入、 どんどん心が合わさっていった。

小野先生は、人生の師、いつも静かな人

いわれたことに「くっそ!」て思たこともいっぱいあった。

そのときはわからへんねんけど・・・・・時間と共に染み込んできた。

 

先生に最後にあったのは、男か女かわからへん名無しのごんべぇ、7ヶ月やったかな?

大きなお腹に手ぇあてて、「お前がなぁ〜、はっはっはっ」 満面の笑みを浮かべてた。

Shigeoが生まれた。

一番に会いに行こうと思てた矢先、心臓発作で逝ってしもぉた。

先生、会いに来たかなぁ?

もぉ、18年前も前や、

 

影山君、ヘビー、増田、名前を上げたら、限・・・・あるか、 思いっきり生きてたなぁ、

“反物、3日間織り、当然のことながら 私は出来んかった。  

これだって、始めたきっかけは影山君の一言。「お前に出来るわけがない!」

悲しいかな、この間この話しをしたら、「そんなこと、覚えてない」・・・・えっ・・・・、

なんやて、30年の間、私の独りよがりやったんかぃ、

私、織物はまったくの素人やったから、織り屋の息子の影山君には、いつも、嫉妬してた。

そやかって、何でも知ってるし、持ってるし何でも出来るんやもん。

音楽、お酒、タバコの煙、織物の話、くだらん噂話、ほんま没頭して生きてたなぁ、自分しか見えんかった。

布、いろたり 糸を紡いだりする時に 懐かしゅう思い出す。

 

ヘビーはわが道を行く、静かで、強くて、のんびりしてる南の国から来た人。

またその内、彼女のエピソードも紹介します。

 

いつも「もっとゆっくりしぃなぁ〜」の言葉に背中向けて、急いだ人、増田。

卒業して1年もたたんうちに白血病でなくなってしもた。その時初めて、何でかがわかった。

増田さんは電車通学の時間を、「乗ってる人のクロッキーやってみぃ」って進めてくれた。

行きは出来たんやけど、帰りは時々、酔っ払ってたからできんかったなぁ。

バンコクに来てもうすぐ4年になる 。来てよかったけど、日本の四季や田舎が恋しい。

まぁええ、ここには日本食にも困らんだけの食材もあるし、着物もある。

日本にいてた時は、ほとんど着んかった着物も、ここで結構、役に立ってる。

着物好きはおばあちゃんから母さん、私と代々受け継いだもんやなぁ。

戦後、着物は廃れてきたけど、最近、戻って来た。

二部式のまるでスーツのような着物や、マジックテープがついてて簡単に着けれる帯がある。

若い人たちは短い着物をワンピースみたいにしたり、

中古の着物を好き勝手に楽しんでる。

ええんちゃう? 着物で楽しむん、

                   多香子