ミン

2004年11月

  パージャーになった 

             

私、お手伝いさんオップの娘、ミンに「パージャー」って呼ばれてる。 ついでにオップにも呼ばれてる。

  パージャーって伯母さん、

タイではお手伝いさんを「アヤさん」、お手伝いさんからは「奥さん」と呼ばれる。

ホテルのボーイに「マダム」と呼ばれ、思わず「ええっ!誰のことや」と、思わず周りを見回してしもた。

時間がたっても「奥さん」とか「マダム」と呼ばれるのは、気持ち、あんまりよおない。

バンコクに来て最初のお手伝いさんは「ドロボー」になって逃げてった。

次のお手伝いさんが「オップ」、彼女は妊娠8ヶ月まで1年半、頑張ってくれた。

その後、何人かのお手伝いさんが入れ替わっった。

そして、主人は駐在という形から独立し、会社を立ち上げた。その間、お手伝いさんなし。

ここで会社を作って働くには、タイ人社員を4人雇わなければ、1人の外国人ワークパミットが取れない。

とにかく小さな会社やから、社員を4人も雇うほど仕事はない。

一番最初に、お手伝いさん。息子等からは「オップしかいてへんやろ、やっぱり」

そのときオップは1歳10ヶ月の娘の母、子育てを頼む家族はなし、したがって、仕事もなし。

オップの家と事務所兼自宅はけっこうな距離、

小さな部屋が二部屋続き、そこへ家族ごと転がり込んできた。

これで、一安心や、信用の出来るお手伝いさん、探すの、たいへんや、

 

オップは日本人家庭で働いたことがあるから私を「奥さん」と呼ぶ。

ミンも呼ぶ、「子供からその呼び方は変やろ」  そして

 私はパージャー」 になった。

勿論、オップが働いている間、時々、子守してる。

オップにお尻をたたかれて、カーテンを縫ったりソファーカバーを縫ったり、

タイ在住の長い方からみれば「とんでもない」ことなんやろう。

でも、私はそれで満足してる。

タイでには、日本でとっくになくなった「臨機応変」が生きている。過ぎるときも多々、

とっさの思い付きには感心する。

 

日本人が多く住んでる所のお手伝いさん達は、日本食を上手に作る。

でも、オップが作ったご飯は食べられへん。

何を作っても美味しゅうない。旦那さんも娘も食べへん。

ここだけは何処にいても 我が範疇やねぇ。

 

いつも 「ラオ チャン バーン」 (私たち 家の職人さんやね)と言いながら

網戸の張替え、水道工事、雨漏り直し、洪水対策、いろんなこと 二人で頭ゴッツンコさせながら直す。

我等、生活共同体や!